お金の運送屋
唐突ですが金融機関を、お金の運送屋に喩えてみましょう。
顧客運送業は有史以来、徳川末期まで続いた駕籠(かご)の時代から明治の人力車、そしてガソリン・エンジンのタクシーへと変革してきました。
タクシーの運転手になるためには運転免許がなくてはなりません。
運転免許を取得するためには読み書きを覚えなくてはなりません。
旅客運送業そのものは此の世から消え去るものではありませんが、業態や従業員の資質は時代の移行に伴って変わりゆくものでしょう。
21世紀の今日、政治家や経済評論家が「駕籠屋のオヤジよ頑張れ!人力車はタクシーに負けるな!」と、精神論で応援しても、駕籠かき人足がタクシーのスピードに勝てるはずはありません。
外国銀行の駆使するデリバティブなどは大型車運転免許に相当します。
我が国の産業構造が 農業 ⇒ 軽工業 ⇒ 重化学工業 ⇒ 先端ハイテク産業 へと変遷するにつれ、“お金の運送屋”の役割も変わってしかるべきでしょう。
追いつけ追い越せを国策として資金不足が大前提だった日本経済は、1980年代半ばから資金余剰の世界に移行しました。
すなわち電気、自動車、精密機器といった我が国の優等生グループは、証券市場で資金調達する直接金融に駆け込んで行ったのです。
なぜ1980年代後半期に建築・不動産・スーパーマーケットの三業種が、金満国家ニッポンのスーパースターと期待されたのでしょうか?